さぬき市の偉人 中川睦彦

こんにちは

さぬき市議会議員の中川睦彦です。

本日はさぬき市の偉人を紹介したいと思います。

その偉人は「平賀源内」です。

そして、12月18日は平賀源内の亡くなった日でした。

多才な発明家で、エレキテル等有名ですが、私の中では「土用の丑の日にウナギを食べる」を定着させた方で、日本にうなぎブームを起こした凄い方です。

平賀源内について

1728年(享保13年)、讃岐国寒川郡志度浦(現:香川県さぬき市志度)の白石家の三男として生まれる。白石家は讃岐高松藩の足軽身分の家。名は国倫(くにとも)、字は子彝(しい)、号は鳩渓(きゅうけい)・風来山人(ふうらいさんじん)・福内鬼外(ふくうち きがい)など。

戦国時代の先祖にちなんで平賀に改姓。1752年(宝暦2年)、1年間長崎へ遊学し、本草学やオランダ語、医学、油絵などを学ぶ。大坂・京都で学び、さらに1756年(宝暦6年)には江戸に出て本草学者・田村元雄(たむら らんすい:藍水)に弟子入りして本草学を学ぶ。

江戸では蘭学医・杉田玄白(すぎた げんぱく)や中川淳庵(なかがわ じゅんあん)らと親交を持つ。物産博覧会をたびたび開催し、静電気発生機のエレキテル・石綿耐火布の火浣布(かかんぷ)・寒暖計などを発明。

戯作(げさく)・浄瑠璃(じょうるり)にも才能を発揮し、多くの作品を残す。また、源内焼(げんないやき)などの焼物の制作、鉱山の採掘など、多彩な分野で活躍。

しかし、幕府への仕官が叶わず、晩年は生活が荒れる。酒に酔い、口論から人を殺傷。これにより投獄され、1780年(安永8年)12月18日(旧暦)、破傷風により獄死。52歳。

著書として、本草学の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763年)、談義本の『根南志具佐(ねなしぐさ)』や『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』(1763年)、浄瑠璃の『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』(1770年)などがある。

また、2009年(平成21年)には故郷のさぬき市志度に平賀源内記念館が開館し、発明品や著作物、杉田玄白と源内の書簡などが展示されている。